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2.7更新 VOL.18 講談倶楽部賞、オール新人杯 文芸公募百年史

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VOL.18 講談倶楽部賞、オール新人杯 


今回は、昭和20年代に創設された大衆文芸の賞、講談倶楽部賞とオール新人杯を紹介する。前者は司馬遼太郎を発掘し、後者はオール読物新人賞につながる老舗文学賞だ。

戦後の一時代を画した講談倶楽部賞

1951年(昭和26年)、講談社の大衆文学雑誌「講談倶楽部」が講談倶楽部賞を創設している。
「講談倶楽部」は明治44年(1911年)に創刊。落語や講談を速記し、話したままを筆記して印刷した速記講談を主軸とした雑誌で、明治期には盛んに懸賞小説の募集をして吉川英治を発掘したことは以前書いた。
以前の記事はこちら
その後、「講談倶楽部」は大正、昭和と生き延び、戦前には「愛国小説軍事美談集」という特集を組むなど時局色が強くなり、戦中には「時局小説」「懸賞小説」を募集している。

講談倶楽部賞は戦中の「時局小説」「懸賞小説」を復活させたものだが、時局小説を募集したわけでも、歴史時代小説に限定したわけでもなく、募集内容は「現代物、時代物、ユーモア物その他いかなる題材でも可、真に大衆に親しめる健全娯楽小説たるもの」となっている。これは当時、講談社の「面白倶楽部」や「キング」の売れ行きが順調だったことから、「講談倶楽部」もバラエティー豊かな娯楽雑誌を目指したことに由来する。

第1回の賞金は第1席が10万円、佳作3万円、選外佳作3000円だった。選考は、当初は編集部が選考していたが、第6回は井上靖、村上元三、山岡荘八など5名が選考し、以降は海音寺潮五郎、源氏鶏太、横溝正史などその時々の人気作家が選考委員に加わっている。応募総数は、第1回が1020編。その後も大きな変化はなく、だいたい800~1000編の間となっている。
著名人も多数発掘している。主だった入選者を挙げてみよう。

伊藤桂一  第2回優秀編「アリラン国境線」
童門冬二  第4回佳作「東京の神話」、第5回佳作「幸福の馬車」、第9回奨励賞「輪舞」
早乙女貢  第6回選外佳作「算盤武士」
福本和也  第8回佳作「農兵の歌」
白石一郎  第9回奨励賞「みかん」、第10回受賞「雑兵」
梶原一騎  第10回候補「集団脱走」
西村京太郎 第11回候補「賞状」、第12回候補「或る少年犯罪」
神坂次郎  第12回候補「西瓜を啖う武士」、第15回候補「次郎左衛門ふたり」

候補者にのちの漫画原作者、梶原一騎が!

説明するのも野暮だが、伊藤桂一は『静かなノモンハン』などで知られる直木賞作家。童門冬二は小説家としてデビューするが、歴史上の人物から経営管理、組織論を展開した実用書で知られる。早乙女貢は忍法、くのいちなどの時代ものを多数書いた作家で、氏も直木賞作家だ。

白石一郎は、白石一文のお父さん。二人は親子で直木賞作家という間柄だ。親子で作家は珍しくないが、親子で直木賞作家は史上初だ。
西村京太郎は時刻表トリックの名手、神坂次郎は『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』などで知られる歴史時代小説作家だ。
なお、記録としては残っていないが、田辺聖子は第1回のときに応募し、予選を通過しているそうだ。

福本和也はご存じない方が多いと思うが、氏は推理小説家というより漫画原作者として名高い。代表作は、ちばてつや「ちかいの魔球」と一峰大二「黒い秘密兵器」。ここで「うわ、懐かしい」と言った人は確実に昭和生まれだろう。もしかすると団塊の世代かもしれない。
この2作に影響を受けたと言われているのが「巨人の星」で、原作者は言わずと知れた梶原一騎だ。

ついでながら、梶原一騎の父親は改造社や新生社にいた編集者で、父親の影響もあり、梶原は若い頃、作家志望者だった。しかし、その夢は叶わず、挫折した果てに漫画原作者としての道があったわけだが、当時の時代性もあり、父親は漫画を認めていなかったらしい。こうしたコンプレックスから「巨人の星」という親子の相克のドラマが生まれた。ある意味、飛雄馬は梶原一騎の分身だろう。また、父親の星一徹は酒豪だった父、高森龍夫がモデルと言われている。

ところで、講談倶楽部賞のOBには親交があり、昭和30年(1955年)以降、受賞者の集まり「泉の会」があった。メンバーは第1回受賞者の池上信一のほか、童門冬二、伊藤桂一、早乙女貢、福本和也がいた。今の文学賞にもこうした会はなくはないが、結局、まとめ役がいないと続かない。誰かはわからないが、泉の会にはきっといいリーダーがいたのだろう。

第8回のときに司馬遼太郎を発掘!

ここまで意図的に第8回の受賞者を飛ばしてきた。
それは誰あろう、司馬遼太郎だ。
受賞作は「ペルシャの幻術師」で、このとき、選考委員だった海音寺潮五郎に絶賛され、山田風太郎のような伝奇小説の書き手になるだろうと言われていた。実際、デビュー当時は、のちに直木賞を受賞する『梟の城』や『風神の門』など忍者ものが多かった。今になると、司馬遼太郎も忍者ものなんて書いていたのかという感じだが、受賞当時は本格歴史小説の担い手になるとは思われていなかった。

司馬遼太郎のすごいところは、「そんな偉人がいたんだ」「そんなすごい人だったんだ」という人物を発掘するところにある。たとえば、『竜馬がゆく』の坂本龍馬、『燃えよ剣』の土方歳三、『国盗り物語』では明智光秀、『坂の上の雲』の秋山好古・真之兄弟がそうだ。坂本龍馬は昔はそんなに有名ではなく、教科書にも出てこなかった。新選組も有名なのは近藤勇で、土方は脇役だった。戦国武将を書くのに明智光秀を主役にする作家はなく、日本海海戦でバルチック艦隊を一日で全滅させた立役者は東郷平八郎であって、参謀の秋山真之の名前を出す人は昔はいなかった。

隠れた偉人を発掘するこの手法は今や定番となり、火坂雅志は『天地人』で直江兼続を発掘し、ドラマではないが、脚本家の山本むつみは『八重の桜』で会津の狙撃兵、新島八重を見出し、昨年は『寅と翼』で吉田恵里香が日本初の女性弁護士、三淵嘉子を世に知らしめた。

というより、先人がつけたイメージはある部分に光を当てただけに過ぎないから、そのイメージを一転させないといけない。現在、放送中の大河ドラマ「べらぼう」では金権政治の田沼意次を聡明な政治家として評価し、鬼平こと長谷川平蔵は無粋な男にしている。司馬遼太郎も同じで、宮本武蔵と言えば剣豪だが、『宮本武蔵』では近代兵器の前に全く歯が立たない時代遅れの男としてシニカルに描いている。

ただ、イメージを覆すと言っても、史料に基づいてやらないと「嘘だ」と言われる。小説はフィクションだから嘘であることは前提だが、嘘くさいと読者は怒るのだ。その点、司馬遼太郎の場合は、フィクションなのにすべて事実だと思えてしまう。それぐらい司馬遼太郎は史料を読み込む。昔はネットがなかったから史料は紙の本だけになり、司馬遼太郎は執筆前にあらゆる史料を集めたと言う。古い史料は神田の古書店街で集め、「○○関係」の史料が一気になくなると、「司馬さん、次の主人公は○○か」とわかったという伝説まであった。

長寿文学賞の「オール新人杯」始まる

司馬遼太郎について書いていたら、すっかり講談倶楽部賞から離れてしまった。 講談倶楽部賞は司馬遼太郎の出身公募と考えると、もっと知られていてもおかしくはないが、昭和37年(1962年)に募集が終わってから60年以上も経つし、「講談倶楽部」自体がもうないから、どうしたって司馬遼太郎の話題から講談倶楽部賞がでてくることはない。

一方で、形を変えながら今なお継続している長寿公募もある。その一つが、昭和27年(1952年)に創設されたオール新人杯だ。この名称では馴染みがないかもしれないが、同賞は昭和35年(1960年)からオール読物新人賞と名称を変え、令和7年(2025年)の今年には第105回を数える。長寿文学賞だ。
この賞をいっぺんに扱うと令和になってしまうので、ここではオール新人杯の名称だった昭和34年(1959年)の第16回まで見てみよう。

オール新人杯は、募集は年2回で、これは昭和60年(1985年)の第66回まで続く。賞金は「適当なる原稿料」とある。規模的には文学賞というより誌上投稿の拡大版のような趣旨であったかもしれない。ただ、選考委員は豪華で、第1回は久生十蘭、村上元三、井上靖、檀一雄、源氏鶏太の4氏で、応募総数は684編だった。 入選者のうち、のちの著名人は下記のとおり。

南條範夫  第1回受賞「子守りの殿」
松本清張  第1回佳作第一席「啾啾吟」
永井路子  第2回候補「いせまいり」、第3回佳作「下剋上」
新田次郎  第2回候補「毛髪の奇蹟」、第6回候補「餞別」
邱永漢   第4回候補「龍福物語」
伊藤桂一  第5回佳作「最後の戦闘機」
胡桃沢耕史 第7回受賞「壮士再び帰らず」
寺内大吉  第7回佳作「白い水路」、第8回受賞「黒い旅路」
福永令三  第9回受賞「赤い鴉」
団鬼六   第9回候補「浪花に死す」、第11回次席「親子丼」
福本和也  第11回候補「K7高地」
童門冬二  第11回候補「蔚山の猿の群」、第12回候補「白絲日本志」


こう見ると、講談倶楽部賞や、前回、取り上げた「サンデー毎日」懸賞小説と入選者がかなりかぶっていることがわかる。
まず、南條範夫、永井路子、新田次郎は「サンデー毎日」創刊30年記念100万円懸賞小説の受賞者。伊藤桂一、福本和也、童門冬二は今回紹介したとおり、講談倶楽部賞のOBだ。松本清張は昭和24年に週刊朝日の「100万人の小説」で「西郷札」が三等に入選し、昭和28年には『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞するが、その間にオール新人杯で入選している。

邱永漢は台湾人作家で、経済評論家としても名高い。胡桃沢耕史は冒険小説、ユーモア小説の書き手として知られ、同じ第7回の佳作、寺内大吉は新宿高校の先輩。ともに直木賞作家だ。福永令三は「クレヨン王国」シリーズで有名な児童文学作家。団鬼六はSM小説の第一人者だ。

まだ雑誌の発行点数も少なく、なおかつ、懸賞募集をしているところとなるともっと少ないので、当時の投稿マニアたちはあちこちに応募していたのだろう。今と違って、どれに応募していいか迷うということもなく、ジャンルを限定されれば、選択肢は片手もなかったかもしれない。

昔はこうした入選の常連がたくさんいた。何度も入選すると、そのうち名前が知られるようになり、「またあの人だ」と少々やっかまれたりもしたが、出る杭は打たれるものの、盛大に出た釘はもはや打つことはできず、投稿王として賞賛される。昭和30年代、脚本の世界では二人の常連入選者がいて、東の井上ひさし、西の藤本義一と言われたが、小説でも同様だった。
今の受賞者との違いは、文学賞を通過点と考えるかどうか。この頃の応募者は受賞後もまた別の賞に応募し続ける、応募者であり続ける。棚にぼた餅があるのなら、下で待つまでもない、自ら戸を開けて取りに行くのだ。



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