2.21更新 VOL.19 同人雑誌賞、学生小説コンクール 文芸公募百年史
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今回は、「もはや戦後ではない」と言われる2年前、昭和29年に創設された同人雑誌賞と学生小説コンクールを紹介する。のちの新潮新人賞、文藝賞につながる文学賞だ。
有意な新人を輩出した同人雑誌賞
昭和20年代の文学賞の状況を一言で言えば、戦争で荒廃した土壌に一斉に芽が出て成長し、いくつかは大木となっていったというところだろう。その中で特に目立つのは新潮社の文学賞だ。
まず、昭和24年に新潮社文学賞を創設。ちょっとややこしいのだが、同賞は昭和12年に創設された新潮文芸賞とは別の賞であり、昭和29年に誕生する新潮社文学賞とは同名ながら、これとも別の賞だ。昭和24年創設の新潮社文学賞は賞金10万円を掲げ、昭和28年まで実施されたが、この年の第3回をもって終了している。
新潮社は、昭和29年には新たに新潮社文学賞と、小説新潮賞、同人雑誌賞の3賞を同時に創設している。こちらの新潮社文学賞は公募ではなく、雑誌「新潮」に掲載された作品を対象に選考され、第1回受賞は三島由紀夫『潮騒』だった。
小説新潮賞は、昭和22年に創刊された中間小説誌「小説新潮」が母体となり、中間小説を募集。石川達三、石坂洋次郎、舟橋聖一、丹羽文雄、尾崎士郎、井上友一郎、広津和郎、獅子文六を選考委員としてスタートし、第9回のときに藤原審爾(受賞作は「殿様と口紅」)、第10回のときに有吉佐和子(受賞作は「香華」)を見出したが、第14回をもって終了している。
「小説新潮」は雑誌本体は順調に発展するものの、なぜか文学賞はうまくいかないのだが、その傾向は昭和20年代にすでに始まっていたようだ。
残る同人雑誌賞は同人誌に掲載された小説が対象となるが、同人誌単位とはいえ応募をするので、これも歴とした公募文学賞だ。選考委員はこれまた豪華で、伊藤整、井伏鱒二、大岡昇平、尾崎一雄、中山義秀、高見順、永井龍男、三島由紀夫、安岡章太郎だった。賞金は10万円で、受賞者に5万円、所属同人誌に5万円が贈られた。
受賞者にはまた有意な新人がごろごろいて、一部を挙げると……。
第2回 三浦哲郎「十五歳の周囲」(同人誌は「非情」)
第3回 瀬戸内晴美(のちの寂聴)「女子大生・曲愛玲」(同人雑は「Z」)
第7回 佐江衆一「背」(同人誌は「文芸首都」)
第8回 河野多恵子「幼児狩り」(同人雑は「文学者」)
第11回 津村節子「さい果て」(同人誌は「文学者」)
第12回 渡辺淳一「死化粧」(同人雑は「くりま」)
この頃は商業出版が今ほどではなく、もちろん、WEBもないから、作品を発表する機会と言えば、同人誌しかなかった。だから、プロを輩出するぐらいの力は余裕であった。同人雑誌賞の受賞者名には所属同人誌も書かれているが、「文芸首都」「文学者」、あるいは「作家」という同人誌のほか、全国各地に「○○文芸」という名の同人誌がいくつもあった。戦前なら、太宰治も「海豹」という同人誌に参加し、白樺派の名で今も残る「白樺」も同人誌だし、芥川龍之介の「新思潮」もそうだ。とにかく一派をなすほどの力を持っていたのだ。
同人雑誌賞は昭和42年に中止となるが、翌昭和43年には新潮新人賞が創設される。賞の運営、特徴は新潮新人賞に引き継がれているので、中止というよりはリニューアルといったほうがいいかもしれない。
ちなみに、現在の新潮新人賞の規定では「同人雑誌発表作は選考の対象外」となっているが、賞創設当時は「同人誌での掲載作品は応募可」だった記憶がある。同人雑誌賞を受け継いだ文学賞だからだが、ただし、現在は「不可」となっている。
選考委員も入選者ものちのノーベル文学者受賞者
昭和29年というのは公募文学賞としてはエポックメイキングな年だったようで、この年、河出書房(現在の河出書房新社)は学生小説コンクールを創設している。募集は年2回行われ、タイトルからわかるとおり、高校生、大学生を対象とした文学賞だった。選考委員は青野季吉、臼井吉見、川端康成、佐多稲子、丹羽文雄の5氏。賞金は対象が学生ということで低めだったのか、3万円だった。
この賞で特筆すべきは、やはり第3回(昭和30年上半期)の佳作、大江健三郎「優しい人たち」だろう。ご存じのとおり、大江健三郎はのちにノーベル文学賞を受賞するが、よく見ると選考委員には川端康成がいて、ノーベル文学賞作家がノーベル文学賞作家を選んでいたのかという感じだ。
大江健三郎というと、その受賞歴は「東大在学中に『飼育』で芥川賞を受賞」から始まることが多いが、その前に数々の小さな賞を受賞している。
昭和30年 第3回学生小説コンクール佳作「優しい人たち」
昭和30年 銀杏並木文学賞第2席「火山」
昭和31年 第5回学生小説コンクール選外佳作「火葬のあと」
昭和31年 東大学生創作戯曲コンクール「獣たちの声」
昭和32年 五月祭受賞「奇妙な仕事」
大江健三郎は昭和10年(1935年)生まれなので、このとき、20歳~22歳。若き天才というと、本人は何もしなくても周囲が「すごい小説を書くやつがいる」と放っておかず、本人の意志というよりは周囲からの要請により小説を書くという印象が強い。実際、大江健三郎は東京大学新聞に載った「奇妙な仕事」が平野謙に激賞されて作家デビューし、「死者の奢り」で第38回芥川賞候補、「飼育」で第39回芥川賞を受賞するのだが、上記の受賞歴のとおり、全然待つタイプではない。精力的に応募している。才能ある人がこんなに応募し、自己㏚をしているのだ、いわんや才能なき者をやだろう。
この学生小説コンクールは、第6回(昭和31年下半期)で中断しているが、これは河出書房が経営破綻したことが原因だ。同社は新たに河出書房新社としてスタートし、文学賞のほうも昭和41年に復活するが、昭和42年の第2回で終了している。
ただ、終わったというより、昭和43年に創設された文藝賞に吸収された形であり、学生小説コンクールは文藝賞の前身という見方もできなくはない。文藝賞というと高校生、大学生がデビューしている印象があるが(あくまでも印象であって現実とは違うが)、若く有意な才能を発掘しようという姿勢は昭和20年代から続く伝統かもしれない。
地上文学賞と「国鉄文化」文芸年度賞
今回は同人雑誌賞と学生小説コンクールの2賞を取り上げる予定だったが、調べていたら、昭和28年に地上文学賞が創設されていた。主催は家の光協会(JAグループの出版団体)で、同賞は、農村とそこに生きる人間を主題とし、農村が直面している問題点と、その可能性を探求するという趣旨で始まった。
趣旨が趣旨なのでプロ作家の登竜門という文学賞ではないが、地味ながら堅実に定期開催している印象があった。しかし、令和4年(2022年)、第70回をもって終了した。プロを輩出するような賞ばかりが文学賞ではなく、こうした隠れた優良公募が公募文化の下支えになっていたと思うと残念ではあるが、始まる公募もあれば終わる公募もあるのは致し方ない。
もう一つ、ちょっと変わり種ということでは、昭和27年に「国鉄文化」文芸年度賞という文学賞が創設されている。主催は国鉄労働組合で、対象作品は日本国有鉄道の機関紙、リクリエーション誌に掲載された作品のほか、応募も受け付けていた。公募ガイドでは扱ってなかったのでいつまで募集していたかはわからないが、国鉄自体が昭和62年(1987年)に民営化され、JRとなっているので、「国鉄文化」文芸年度賞ももうない。
応募対象は国鉄関係者だけだったろうから、いわば社内公募だが、国鉄職員は昭和60年代でも30万人、昭和20年代前半は60万人もいたそうなので、内輪だけの文学賞では片づけられない。応募対象者が60万人もいたら、中には有能な人もいたに違いない。そう言えば、作家ではないが、「ザ・ベストテン」の中継では駅のホームで「サヨナラ模様」を歌っていた伊藤敏博というミュージシャンがいた。彼も国鉄職員だった。
文芸公募百年史バックナンバー
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